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相馬の古内裏

14.
歌川国芳 「相馬の古内裏」
相馬の古内裏

江戸時代末期を代表するの浮世絵師である歌川国芳(1798-1861)は武者絵を得意とし粋でいなせな気風で江戸庶民に親しまれた。武者絵は、美人画とともに浮世絵の双へきをなし、俗に、伝説物語、歴史上の英雄、豪傑、武将や合戦場面を描いたもので、明治初期まで主流を占めた。
なかでも国芳は、当時「武者絵の国芳」と称され、力強く、勇壮な作品を数多く描いたことで知られている。
しかし国芳は、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は必ずしも高いとは言えなかった。 「幕末の奇想の絵師」として注目され、再評価されるようになるのは20世紀後半になってからだ。
国芳の名を一躍有名にしたのは、文政10年(1827)頃の、『通俗水滸伝豪傑百八八之一個』と題した連作である。この武者絵シリーズが爆発的なヒットとなった背景には、前年から刊行が始まった曲亭馬琴(1767~1848)の読本『傾城水滸伝』が引き金となって急速に高まった水滸伝ブームがある。
水滸伝シリーズに成功した国芳は、その後、大判三枚続の画面いっぱいに、巨大な鯨や鮫、蛸などの生物を横長に描くという意匠と、緻密な描写による新しいスタイルの三枚続絵の領域を拓いた。
三枚続絵は一図ずつでも構図が成立するように作画するのが普通であるが、その慣例をまったく意にとめない大胆さは国芳ならではだ。
その三枚続絵のうちのひとつに「相馬の古内裏」がある。
承平・天慶の乱の平将門とその遺児による復讐譚を物語った山東京伝の読本『善知烏安方忠義伝』の一場面に想を得ながら該当場面を大胆に翻案した発想は意外性に富んでいる。この発想の底流には、葛飾北斎の影響があろう。
舞台は、北斎の怪奇趣味の中から創出した『百物語・こはた小平二』を参考に、かつて将門が築いた下総相馬の政庁の廃屋において、将兵を集めて父の仇を討とうと画策する瀧夜叉姫の野望を、源頼信の忠義の家臣大宅太郎光国が、うち砕こうとする場面である。
活劇を見るような動きのあるシーンの描写と大胆な構図に国芳らしさのよく表れた人気の作品。
内裏の玉殿に朽ちて醜くぶら下がる御簾を分け、天井から舞台をのぞき込むかのように巨大な骸骨が現れる。西洋解剖学書を参考にした、その正確な人体骨格の描写には、陰影を用いて気味の悪さを潜ませ、あたかも将門の悲憤の霊を象徴するかのように、見る者に強烈な印象を与える。

各35.7×25.5が3枚
時代:天保後期

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